翻訳家のセンス

映画などを、翻訳する際に、作品内のセリフを翻訳するだけではなく、タイトルも翻訳する場合があります。

それらは、日本で成功させる為にインパクのあるタイトルに付け替えたり、日本人に馴染みのない英語を分り易くする意味なども含まれていて、これらは、翻訳家や翻訳会社のセンスが問われる所と言っても良いのではないでしょうか。(それらを決めるのはどのレベルで決めているかは知りませんが)

私の知っている映画で、「ストーリー・オブ・ラブ」と言う映画があるのですが、これは邦題で、洋題ですと、「The Story of Us」となります。

付け替えた部分は、全体的にカタカナに変え、「Us」の部分を「ラブ」に変えただけですが、これだけでも、全く意味合いが違ってきます。

「ラブ」とは、愛と言った意味ですが、「Us」とは、アスと読み、「私たち」とか「二人」と言う意味になりますので、邦題を翻訳すると、「愛の物語」となりますが、洋題を翻訳すると「私たちの物語」と言う意味になりますし、これだけで全然受ける印象が違うのではないでしょうか。

さらに、綴りは違いますが、同じアスと言う発音で尻と言う意味もあるのですが、(「Ass」と書きます)実は、作品内でやたらと尻の話しを引っ張っている場面もあり、これは、制作者側の遊び心をタイトルにも反映させていたのだと思います。

この様なタイトルを、邦題に付け替えるのには、それなりのセンスが必要で、時には作品自体の完成度に影響してしまう事もあるのではないでしょうか。

ことわざを翻訳する

中国のことわざで、「泣いて馬謖を斬る」と言うことわざがありますが、これは、中国の三国志の中の話しで、諸葛亮と言う軍師が、自分の可愛がっている弟子の馬謖に、策を授けたのですが、馬謖が欲を出してしまい、諸葛亮の言っていた策とは違う行動をとってしまい、その結果、軍に被害を出してしまったので、諸葛亮が自分の弟子であろうとも、私利私欲をだして行動したものは、罰せなければいけないと、泣きながら弟子を斬った所から作られたことわざなのですが、この様な特殊な状況のことわざなども、翻訳する際には、分り易く表現する必要があるので、翻訳会社などでは、その国に見合った言葉などに適切に翻訳し、表現しなければいけないでしょう。

ちなみに、現代の日本では、「泣いて馬謖を斬る」は、公私混同は許さないと言った様な意味合いで使う事が多いです。